周囲からは当然のように「Proを買ったんでしょ?」と聞かれますが、今回は迷うことなくAir一択。次点は iPhone 17。最初からProは候補に入っていませんでした。本当はiPhone 15 Proのままでも良かったのですが、昨今容量128GBでの運用が厳しくなってきてしまい、やむを得ずです。iPhone 15 Proナチュラルチタニウム気に入っていたのですが。
さて、スマートフォンですが、周囲の友人・同業者の多くがiPhone 17 ProかPro Maxを所有しています。みんなが同じ方向を向いていると、つい違う方向に行きたくなる天邪鬼な性格が顔を出します。もちろんProシリーズの完成度は素晴らしい。でも、個人的には最近のiPhoneはちょっと“ゴテゴテ”しすぎているように感じていました。特に背面のレンズ周りの主張が強くて、道具というより装飾品のよう。あれをポケットから出すたびに「撮影を意識させられる」のが、どうにも落ち着かない。
では、Airはミニマルか? と問われると、正直それほどでもありません。レンズの出っ張りは依然として目立つ。Google Pixel 10 のようにまとめてくれれば美しかったのに、と思うのは自分だけでしょうか。 ただ、Airのバランスには妙な安心感があります。角の丸み、フレームの軽さ、そして持ったときの“収まり感”。手にした瞬間に「これでいい」と思えたのは、久しぶりでした。
自分はスマートフォンのカメラは、あくまで“記録のための道具”だと思っています。光を追い、構図を考え、撮る楽しみを味わいたいときは、迷わずカメラで撮影しています。スマートフォンで“撮る”という行為は、あくまで日常の延長。だからこそ、必要以上のレンズやAI補正にはあまり惹かれません。昨今のAI的な絵作りを否定はしていません。むしろ、仕事ではとても有効な手段ですし、自分もガンガン使っていますから。ただ、自分が好きで写真を撮る際には不要だと思っているだけです。
iPhone Air は、必要なものだけがきちんと入っている道具。飾りすぎず、削りすぎず、ちょうどいいバランスでまとまっている。カメラ主体よりも、軽さ・手触り・反応速度。そういう“使っていて心地よい”部分を重視する自分にはこれが最適でした。Proを選ばなかった理由を聞かれたら、こう答えます。「道具として見たとき、Airがいちばん“普通で良い”から」
しばらく使い込んでみて、その“普通”がどこまで持続するかを確かめたいと思います。



